廃止直前の十和田観光電鉄|Arata Ishida
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Photo & Travel Report
廃止直前の十和田観光電鉄
Upload:2025.5.17
当時通っていた高校に修学旅行が無かったので、バイトで稼いだお金を利用して青森へ。正確には八戸まで新幹線で、そこから青い森鉄道で三沢へ。一面は雪。寒さとの戦いでした。はじめて自力で宿泊場所を探し、新幹線を予約し。これが一人旅の本当の原点です。
七百駅付近(2012年3月10日)
七百駅(2012年3月10日)
七百駅(2012年3月10日)
七百駅(2012年3月10日)
七百駅(2012年3月10日)
上りと下りを撮影したのち、目的地の十和田市駅まで移動。十和田シティホテルという場所で一泊、ホームシックみたいな気持ちになっていたので、16時には既に寝ていました。
十和田市駅付近(2018年8月)
翌日、この日は東日本大震災からちょうど一年。
十和田市駅(2012年3月11日)
ひがし野団地駅~十和田市駅(2012年3月11日)
ひがし野団地駅~十和田市駅(2012年3月11日)
三沢駅(2012年3月11日)
七百駅(2012年3月11日)
十和田市駅(2012年3月11日)
去年で電化60周年だった。
十和田市駅(2012年3月11日)
午前中は2本体制で運転し、以降は引上げ線に留置する形だった。
柳沢駅付近(2012年3月11日)
柳沢駅付近(2012年3月11日)
柳沢駅~七百駅(2012年3月11日)
小気味良いジョイント音に揺れ。本州最北の冬と、そこの住人。廃止直前でも、雪の日は特に欠かせない足だったよう。
十和田市駅(2012年3月11日)
地震発生時刻とほぼ同じ時間に十和田市駅へ滑り込んだ電車。乗客はいつもの事のようにさっさと電車を降りていきました。
十和田市駅(2012年3月11日)
十和田市駅(2012年3月11日)
夜になると十和田市駅では、青のイルミネーションが一斉に点灯します。一抹の寂しさがある。
七百駅(2012年3月12日)
最終日、お世話になったホテルのフロントに挨拶をして、荷物を背負い出撃。この日は、なんとドカ雪。車内も乗客がほとんど乗っていない。広めに陣取って新聞を読む人がいたぐらい。ジョイント音も雪のせいか、ほとんど聞こえなかった。
七百駅(2012年3月12日)
七百駅(2012年3月12日)
七百駅(2012年3月12日)
これだけ積もり、気温もすこぶる低い中、それでも自動販売機からはあったかい飲み物が出てきた。
七百駅(2012年3月12日)
七百駅(2012年3月12日)
降雪は増す一方。
十和田市駅(2012年3月12日)
そしてついに、十和田観光電鉄も運転を見合わせ。青森県一帯の鉄道は全線ストップ。最終日にして最大の効きを迎えてしまう。この日の予定では、三沢駅へ向かい、そこから青い森鉄道で青森駅まで北上し深夜バスに乗るというプランを組んでいた。青森行きの高速バスを待つ中、一方の十鉄ではラッセル車が出動していた。結局運転は再開されず、この路線とはここでお別れとなってしまった。
青森駅(2012年3月12日)
高速バスに乗り込み、なんとか青森駅に到達。深夜バスに揺られて東京へ戻りました。この時相席していたサラリーマンの男性と会話が弾みました。この頃はバス酔いに悩まされており、案の定やられました。あの時は「がんばれ!」と励ましてくれて本当にありがとうって気持ちでした。はじめての遠距離一人旅は、目的地へ向かうワクワクと、現地の生活圏に触れて鉄道の重要性を考えさせられる、そんな学びのある旅であったと言っても過言ではなかった。そしてその数年後、7200系は大井川鉄道へ譲渡され再会することになりますが、それはまた別の話。
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